韓国語と朝鮮語はそれぞれ区別して呼ばれていますが、元は同じ言語です。
その違いについて、人気ドラマの内容を取り上げて、簡単に考察した記事です。
結論、同じ言語ですが差があります
今日、北朝鮮で使われる言葉と韓国で使われる言葉には、それぞれ大きな開きがあります。
「リーさん」のことを「イーさん」と発音したり、友達のことを「チング」と言ったり「トンム」と言ったり。
果たしてどっちが正しいの?と聞かれたら「どちらも正しい」としか答えようがありません。何せ、元が同じ言語なのですから。もちろん、使っている文字も一緒です。
このため、韓国の人と北朝鮮の人が街中で出くわしても、普通に会話になります。実際、韓国で暮らしていた頃、いわゆる「脱北者」の方と友人になりましたが、ほとんど違和感なく会話できました。
しかしながら、やはり両者には微妙な差があります。方言というわけでもなく、どことなくよそよそしい溝を感じるのです。
感覚的には、現代の東京人が江戸時代のチャキチャキな町人と話し合うようなものでしょうか。言語上同じなので通じなくはないですが、お互い心の中では「なんだこいつの話し方は」と思っているはずです。
そして、この微妙なテーマを描いたドラマ作品があります。
「愛の不時着」に見る朝鮮語と韓国語の差異
最近(2021年現在)の作品ですが「愛の不時着」という韓国ドラマが、同国内で大ヒットとなりました。
主にラブストーリーなのですが、事故で北朝鮮に「不法入国」してしまった韓国の令嬢が、北朝鮮の軍人と出会うという内容なので、見る人が見れば、朝鮮語と韓国語の差を楽しめる味わい深い作品でもあります。
両国の文化や言語の差は、一話目からスポットがあてられており、北朝鮮側の軍人ジョンヒョクが、よく「일없다(いろぷた)」と言って、ヒロインのセリに怪訝な表情を浮かばせます。
「일없다」は「大丈夫だ」という意味で、北朝鮮では日常で使われるのですが、私自身、韓国で聞いたことはほとんどありませんでした。川辺でうっかり地雷を踏んでしまったジョンヒョクが「일없다」と言うのに対して、韓国人のセリは「何度も일없다(必要ない)と言うので、私はもう行きますね」と返します。
ジョンヒョクは地雷を踏んでしまったことに対して「大丈夫だ」とう意味で「일없다」と言ったのでしょうが、韓国で「일없다」と言うと「(心配する)必要がない、構うな」といったニュアンスとなり、やや拒絶感が強い表現となるのです。韓国では「大丈夫だ」を、普通は「괜찮아(くぇんちゃな)」と言います。ちなみに、これは北朝鮮でも通じます。
朝鮮語と韓国語の差についてのちょっと真面目な考察
ドラマで見られるように、同じ言葉なのに行き違いが生じるのは面白いですよね。でも、どうしてこのようなことが起こるのでしょうか?
韓国と北朝鮮は、朝鮮戦争以来、別国家としての道を歩むことになったのですが、これは1900年代中盤のことです。国が分かれる前は、李氏朝鮮(朝鮮時代)といって、14世紀末から19世紀末までのおよそ500年間、同一国家であったものが、国を分けてわずか1世紀もたたないうちに、方言では片付かないレベルで言語体系が変わっているのです。およそ自然発生的なこととは思えません。
このことについて、私個人としては次のように考えています。
- 韓国はアメリカの同盟国となり、外来語が爆発的に流れ込んできたため、それに対応するため使われる語彙が変化していった
- 北朝鮮は鎖国政策により昔から言語体系が変わっておらず、他方、韓国は政治的な思惑で、あえて言語体系を刷新した
- 単純にソウル弁とピョンヤン弁で差があり、それぞれ標準語となった
どれもありそうなお話ですが、私としては2と3による部分が大きいのではないかと思います。
歴史的に見て、朝鮮戦争は、北朝鮮と韓国がそれぞれ朝鮮半島の覇権をかけて、東西冷戦の勢力を連れ込んでまで起こした戦争で「正統性」という部分がキーワードとなっています。
韓国は、直近の統一国家である朝鮮王朝の首都が漢城、すなわち現在のソウルであるため、朝鮮半島の主権は大韓民国にあり、と主張するのに対し、北朝鮮はこれを否定します。
朝鮮時代の興りは、そもそも高麗王朝の武官である李成桂(りそんげ)の反乱によるものであるため、正統なものではない。10世紀初頭に朝鮮半島を統一し、それから14世紀末まで存在した、高麗こそが朝鮮半島最後の統一国家である。当時の首都は開京、現在の開城(ケソン、北朝鮮南部の国境都市)であったことから、国家としての正統性は朝鮮民主主義人民共和国にある、と主張するのです。
終戦直後では、言語にもそれほど差はなかったでしょう。なにせ、何百年も同じ国で、同じ言葉を使っていたのですから。それが、わずか70年ほどの年月で、まるで外国語のように変わってしまうには、何かしらの圧力が加わらない限り難しいのではないでしょうか。
政治と学びは切り離して考えるべき
朝鮮語と韓国語が同じルーツを持つ言葉ということがおわかりいただけたでしょうか?
今日こそ違う使われ方をしていますが、どちらを学んでもそれぞれの国で通じます。言葉は時代や政治情勢によって変化するのが常なのです。
日本人が現実的に学ぶとしたら、もちろん韓国語でしょう。朝鮮語を学ぶと言ったら、必ず敵性国家のイメージがつきまといます。同じ言語を学ぶのに、不思議ですね。
ただ、私としては、世間のイメージいかんよりも、何かを学ぼうとする意志を大事にしてほしいと思っています。そして、学びの本質を見失わないでほしいと思うのです。
ちなみに、北朝鮮式の言葉を体験してみたければ、北朝鮮ツアー…はハードルが高いので、中国と北朝鮮の国境地帯、延辺地方に行くと、朝鮮族(朝鮮系の中国人)の街があり、朝鮮語が通じます。アクセスですが、北京から寝台列車に乗って一晩ほどで着くそうです。え?それもハードル高い?
関係ないですが、このサイトで写真を借りている旅行ブログで、中国の鉄道旅行も紹介していますので、この場を宣伝しておきます。